それは三交代制の24時間操業だったんだそうですよ。
いわき市が、かつて石炭の街として隆盛を極めていたのは もう半世紀以上も前の事かと思います。かつてこの地(いわき市内郷)に住んで居た私の記憶にまったく無いのですから 相当に以前の産業遺産ということになりましょう。
昨年でしたか、チリの炭鉱での落盤事故救出劇は記憶に新しいですが、おそらくはそれとは比べモノにならないほどの劣悪環境下の地中深くに男達は潜り、石炭を掘り出す・・・。
そこから良質の石炭を選ぶ選炭の作業は女性の仕事だったことでしょう。
今は完全に廃れてしまっては居ますが、周辺商店街はかつては「金坂(かなさか)銀座」と称されるほどに栄華を極め、想像するに不夜城のようだったんではなかろうかとイメージすることが出来ました。
本日、久々の「まるとみ自転車部」。
小名浜の「まるとみ酒店」の女将さんを慕う連中で、サイクリングがてらかつての産業遺産を学んで来ちゃいました。
ありがたいことに事前にお願いすると 写真のような「案内人」の方がちゃんと説明して下さるんですよ。
普段を足を踏み入れることが出来ないようなエリアも事前にお願いをしておけば大丈夫。
本日、皆で大変に御世話になりました。ありがとうございました。
不思議ですねぇ。実はどう見ても廃墟にしか見えないこれらの産業遺産が、こういった方々の説明を受けながら拝見していると、生き生きとして実際に稼働しているような、人々の賑わいや機械音まで聞こえて来るかのような錯覚に陥りました。
ここは、地下からの換気塔の役割を果たしていた扇風機室だったとか。
湿気と灼熱地獄の地中環境、常なる新鮮な空気の確保は必須の条件だったことでしょう。
外壁を成す煉瓦は歳月を経て独特の雰囲気を醸し出してくれてました。
このエリアは、11月というのにまだ蚊がウヨウヨしておりましたよ。(泣)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
形あるモノは やがて朽ち果て、形を無くしていくことでしょう。
誰かが語り継いでいかなくては ここでのかつての喧噪は無かったことになってしまいます。
当時の方々がそれを意図したかどうかは解りませんが、当時のこの現場に実際に居合わせた方々が日に日に少なくなっていってるという現実がありますから、彼等が牽引者として引っ張っていたに違いないこの地の「石炭産業」の真実を、衰退なんて事は想像もしなかったでしょうけれど残して行きたいのではあるまいか・・・。
我々が子孫を残し、次世代・次次世代に引き継ぐことを期待するように、かつて栄華を極めた在りし日の栄光は永く語り継がれて行くと良いですね。
今回、参加者全員の御協力を得て、9歳の我が子も参加させていただきました。
彼にはナンのことかは理解出来ないかもしれないけれど、大切な事を学んだに違いありません。
途中から雨には祟られてしまいましたが、メンバーには心から感謝ですね。
※ いわき市の「酒井歯科医院」のホームページはこちらです。